日本の空は日本の空ではない
5月12日の阿南平和委員会の企画で米軍機低空飛行問題を牟岐町議(日本共産党)の藤元雅文さんがお話ししてくれました。
米軍機の低空飛行を監視して、皆に、実態を知ってほしい、繰り返してはいけないと思ったきっかけは40年前、横浜の住宅街で起きた米軍戦闘機の墜落事故でした。
パパママ・バイバイ 横浜米軍機墜落事故 なくなれ!厚木基地のページより転載👇
とにかくいろんな人に知ってもらわなくては、いけないと思い。最初は、コンパクトカメラで撮影を始めました。しかし戦闘機はスピードが速いので、うまく撮れない日が続きました。そこで、同じオレンジルートのルートの人と連携して、連絡を取り合い写真を撮り始めた。地元紙も取り上げてくれるようになり、米軍機が飛ぶと地元新聞記者から電話がかかってきて、取材に来るようになりました。
監視活動が県を動かした
高知の県議会では、今まで、低空飛行やめてくださいという決議を出していましたが、いつも否決されていました。しかし、監視活動の繋がりでで2日前連絡を取り始めた高知県の人が撮った。ある動画がネット拡散され状況は変わりました。
https://www.youtube.com/watch?v=4-HVIF-UQzs&authuser=0
これをきっかけに、保守系の議員も渋々ですが、低空飛行中止を求める決議を同意せざるおえなくなり、県議会を通りました。
藤元さんも、町議会で低空飛行中止の意見書を3回あげました。日本共産党県議と共に国にも行きました。まだまだ成果は上がっていません。しかし地元紙にも取り上げられるようになり一歩前進だと思います。まだまだ活動を続けていきたいと思います。
昨今、飛来数は減る傾向にあったが、今年は5月だと言うのに飛来数が多い。
オスプレイの飛来も増加するのでないかと思われます。
地元メディアも報道
地元放送局のニュース番組でも取り上げられました。*2
米軍機による異常な低空飛行が県南部で度々目撃されています。異常な低空飛行もあるという指摘もある中、県南で動きがありました。米軍機の低空飛行の問題、過去にもあったこと、皆さんはご記憶でしょうか?
- 1990年(旧上那賀町)平谷で米軍機の低空飛行が撮影され(米軍機の飛行コース)オレンジルートが問題になった。
- 1994年高知県の早明浦ダムで米軍機の墜落事故がおきます。県は外務省に米軍機低空飛行訓練の中止を求めました。
しかし、訓練は繰り返されました。度々の訓練中止要請にもかかわらず低空飛行訓練は今も続いています。中でも多くの目撃情報のある牟岐町の住民が海部郡町村会に低空飛行をやめさせることを求めるよう申し入れをしました。
目撃証言
男性:ことしは何回も来る、しょっちゅう低空飛行してたら、いい感じはせんわね。頭の上飛んできて、自分が狙われとる感じやもんね。
女性:頭の上落ちてくるんかと思うぐらい近い
低空飛行解析センター
岡山の市民団体の低空飛行解析センターが、藤元雅文さん撮影の写真を元に現場で測量をした結果、最低で104メートルというのがわかりました。『日本の航空法では、市街地を飛行する最低高度は300メートル』
米軍は国内法を尊重するというが、守っていないのが現実。
藤元さんが皆に伝えたいこと
林さん親子のような痛ましい事故を繰り返してはいけないのはもちろんの事。
なんで、米軍が低空飛行しているのかこれは、レーダーにかからないように低く飛んで相手を攻撃する訓練をやってるわけですよ。牟岐では毎年戦没者を弔い遺族が涙する光景があります。戦争とは肉親が死ぬだけでなく、相手も殺しているわけですから、殺し殺されるのが戦争。二度と同じ過ちを繰り返してはいけないという思いで監視活動を続けていきます。
おわりに
「憲法の上に日米地位協定があり、国会の上に日米合同委員会がある」
沖縄県の翁長雄志知事は生前、こう訴えかけ、過重な基地負担の元凶である日米地位協定の抜本的改定に向け、日本全国で議論し、日米両政府に働きかけていくことを求めていました。 オスプレイの墜落や小学校の校庭への米軍ヘリの窓枠落下など、この2〜3年で異常な事故が相次ぐとともに、米軍機の低空飛行訓練やオスプレイの全国展開など、米軍の横暴な訓練や事故の危険が全国に広がったことを受け、地位協定への関心はかつてなく高くなっています。全国知事会の提言や、日米地位協定の抜本的改定を求める全国各地の地方議会での意見書採択、さらに国政野党が地位協定の改定で一致し、国会で政府を追及するなど、地位協定改定に向けた機運は広がっています。これ以上、新しい基地はいらないと沖縄県民が声を上げ、玉城デニー氏が圧勝した沖縄県知事選(2018年9月)、辺野古埋め立て反対が7割を超えた県民投票(2019年2月)とあわせ、主権回復を求める声を高める好機と言えます 。
(検証日米地位協定))「新聞赤旗」政治部安保・外交班より引用